Message from Facilitator

 ファシリテーターからこのページをご覧の方々へのメッセージをお伝えします。ファシリテーターが、これまでの人生、または、ファミリーコンステレーションでの個人的体験から得た気づきなどを記載しています。(書かれていることは個人的な経験・感想です)

あるがままに立つ

2019年11月13日 川口信光

 

 ファミリーコンステレーションのワークショップを本格的に開催し始めてから1年近く経った。この手法と出会ってから4年半。まだまだ道のはじまりでしかないけれども、この期間の中で気づいていたことを”現在地の記録”として記しておこうと思う。

 ファミリーコンステレーションは、どの立場であっても、その体験はとても特殊な体験になる。それまでも、コーチングや対話ワークショップも含め、さまざまな心理療法やグループワーク、ボディワーク、体験学習を経験してきたが、それらとは共通点がないと言っていいほど、ぼくにとっては特殊な経験だと感じる。

 

 ぼくは「自分であること」をとても大切にしている。ぼくは今、オルタナティブスクールを作ろうとしているが、その学校名(仮)は「Authentic Life Scole」。嘘偽りない自分でいられる場所。自分である人たちと共に過ごす場所。自分を生きる人たち(子どもたち)が、自分を生きる人たちと共に過ごし、人生そのものを学ぶ場所。そんな学校をつくろうとしている。

 

 ファミリーコンステレーション、特にファシリテーターとして場に立つ時、自分である状態でいられるかどうかが大きくコンステレーションの展開に影響する。感情に囚われている状態で介入すると、全く何も起こらない。直観という名の思い付きだけで代理人に言葉を伝えても、「よくわかりません」とか「納得感がありません」となる。

 代理人として場に立っていても同じだ。代理人をしている時、実は「自分」と「誰か(の代理人)」の感覚が二つ同居している。自分の感情や感覚を持ちつつ、”誰か”の思考・感情・感覚・言葉が浮き上がってくる、という不思議な体験だ。”誰か”に囚われすぎてしまうと、ワークが終わった後も影響が残るので、「自分」を保ちつつ、場に立つことになる(ファシリテーターは、そういう状態にならないように見ているのでご安心を)。

 

 

あなたと、あなたの大切な人が本当に生きるために

 2018年12月6日 上田晶子 

 

 個人の中から湧き上がる、 生きるよろこびや生きる苦しみ。

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 その源は、実は多くの場合、その人そのものの中ではなく、 家族の関係性や物語の中にあるんじゃないか。

 そんな感触を感じ始めたのは、パーソナル・コーチングを実践するようになり、 2年ほど経った頃のことでした。でも、その源にどう近づき、触れていったらいいんだろう。当時の私には、その道筋がわからず、なにか悶々としたもどかしさを感じていた頃、 関係性に焦点を当てる「システム・コーチング」という手法に出会いました。はじめてその手法に触れた時、 私が求めていたのはこれだ!!という確信を感じました。そして、学び、実践してきた道のりの先に出会ったのが「ファミリー・コンステレーション」でした。

 

 私がはじめてファミリー・コンステレーションのワークショップに参加したのは2015年の6月。当時は、自分自身がテーマを扱うクライアントではなく、クライアントの方が出されたテーマにまつわるご家族の一人の「代理人」として、また、場を見守る人として参加しました。

 はじめての代理人としての経験は、これまでのどんな経験とも全く異なるものでした。自分を通して現れる、会ったこともない誰かの
心の奥底にある深い悲しみ。そして、そのさらに深いところにある、愛。それはきっと、誰かのものであるのに、どこか、自分の一部でもあるような、そしてそれは、人ならば誰しもが持つ、その人を、人たらしめている一部であるような、そんな感覚を覚えました。

 

 そして、それよりもさらに強烈だったのが、場を見守る人としての体験でした。その日の最後のワークの際、クライアントさんご本人の代理人を依頼され、もちろん、と思い立ち上がったのですが、配置してもらう段階になって、急に体が硬直したように動かず、自分でも何が起こっているのか全くわからず、混乱しながらも、これはNOのサインだと受け取り、急遽代理人を辞退させて頂きました。そして、場を見守る人として目撃したそこで展開されてゆくご家族の物語は、家族構成も、起こった出来事も、私たち家族に起こったこととは全く違うけれど、本質的には、全く同じことが起こっていたのです。

 おそらく私は、ほとんどまばたきもせず、1時間ほどのワークの間に、私たち家族に起こっていた10数年の物語を紐解かれているような感覚で その場を見守っていました。そして、場に深い癒やしが起こったとき、私の中には、深いところで自分を許したような、そして私たち家族が家族として生きてきたこと、その中で、たくさんのよろこびと、深い悲しみを経験してきたこと、その全てに対して、ああ、これでよかったんだ、と許されたような感覚になりました。

 

 あれから3年。私は湧介という新しい命を授かりました。そして、兄はずっと、仕事が恋人、世界が恋人のような人だなあ、と思っていたのですが、パートナーとのお付き合いがはじまり、結婚して、人生の新たなスタートを切っています。今、私たち家族は、あらたな命と生きること、あらたな家族を創ることを始めています。

 私は、ファミリー・コンステレーションでのあの体験が、どこかで、今につながっていると感じています。それは、理論的にはまったく説明ができないのだけど、そんな感覚があるのです。

 

 命が生き、育まれること。そしてつながってゆくこと。そのために自分を使うことが私が受け取ったお役目だとしたら、ファミリー・コンステレーションは、そのお役目を果たす道筋の一つだと感じています。

 

 長々と、私の個人的な体験について、 読んで頂いてありがとうございます。ファミリー・コンステレーションの場は、クライアントとして参加しても、代理人として参加しても、場を見守る人として参加しても、きっと、自分自身にとって、必要で深遠な経験と気づきを与えくれます。そして、それはきっと、あなた自身が、そしてあなたの大切な人たちが、その生命を真に生きる、ということにつながっています。